大阪で国際営業の仕事をしていたとき、妙に合わない職場の先輩がいました。すごく優秀でたくさんのことを学ばせていただき、仕事への向き合い方はとても尊敬しています。いまの自分の仕事に間違えなく影響を与えた師匠の一人です。ですが、指導の仕方が少し独特で変化球を投げてくるタイプで、直球勝負な自分には違和感を覚えました。そう、その人は、あの京都人でした。
京都の人は、遠回しな嫌味を伝える特別なコミュニケーションがあります。有名なのは「元気なお子さんやねえ(=うるさいよ、静かにさせなさい)」でしょう。分かる人は「嫌みを言われている」と気づきますが、そうでない人にとってはただの褒め言葉であることがポイントです。
今日は、京都コミュニケーションに関する本を読んだので、そこで自分自身も印象に残った『京都風の毒の吐き方』を3つ紹介します。
1.褒めているように見せかける
代表的なものに「お嬢さん、ピアノが上手どすなぁ」です。ピアノの音がうるさくても、直接的に相手に苦情を言うと、人間関係にヒビが入ることもあります。そこで、褒め言葉の裏に真意を隠します。もし相手が「文句を言われた」と認識し、抗議しようとしても、表向きは褒めているので喧嘩にはなりません。
2.自分を下げる枕詞を使う
たとえば、何かの勧誘を断りたいとき。「うちはややこしこと分かりませんし、主人に聞かんとお返事できませんねん」などと、自分を卑下しているように見せつつ、目上の人やその場にいない人の意思であるかのように見せると角が立たない。
3.みんなのせいにする
「やめといたほうがええて、みんな言うたはるえ」などと、京都人が「みんな」と言う場合、ほぼ確実に「みんな」=「私」です。自分がイヤなことをストレートに伝えず、「みんな」と責任の所在を不明瞭にするテクニックです。これは京都に限らず、日本全国で使われる表現だと言っていいかもしれません。「みんな言ってる」「友達が言ってた」「ちょっとそれは会社が許してくれないんですよ」という言い方は、群馬でも使われてますね。
こうした“言いにくいことを賢く伝える”コミュニケーションは、現代社会にも通ずる技術かもしれません。私たちの周囲には、大きな集団の中に小さな集団が複数あり、それぞれの行き来が頻繁に発生します。今日の敵は明日の味方かもしれないから、相手を言い負かしてサヨウナラ、とはいかないです。長らく日本の都であった京都は、さまざまな人が集まる土地でした。次に誰が権力を持つか分からないから、敵をつくらないことが一種の生存戦略となったのでしょう。
世の中の苦悩は、「人間関係の問題」に集約されます。人間関係は、ちょっとした会話や接し方、感じ方が原因となり上手くいかなくなって悩む場合が多いです。その打開策に、京風コミュニケーションも取り入れてみてはいかがでしょうか。
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